アナウンサー

 ”脚本家の救いの神!奇妙奇天烈な物語の狂言回し” 

 「ザーンカザンザンザ〜ン!」「花の〜アナウンサーぁぁ〜」、「ブルルルルルルル」 等、独特の節回しで登場する「アルトコ中央テレビ」の花形アナウンサー。 ちなみにこのアルトコ中央テレビを略して”アル中TV”と呼んでいる。これを見てもこの頃のNHKがいかに冴え渡っていたかが伺われる。戻って来い、あの時代! 

 至る所で登場して大暴れしている割には、「物語進行ナレーター役」としての枠組を守り、物語そのものに介入したり、キャラクターの運命を変更させたりす るような事はしない。完全に狂言回しのキャラである。また、前半期にはプリンプリン物語ディレクター(三波氏)と、舞台外で楽屋落ち的な寸劇を行う事もし ばしばあった。
 

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人形の特徴:

 「我こそはアナウンサー」という感じの強い自己主張を感じさせるビジュアルだ。突然インパクト音と共に登場し、黄色のネクタイに赤いジャケット、散切り頭を振り乱して巨大な唇で自在に喋り捲るその姿に気の弱い子は間違い無くトラウマを植え付けられたはず。
 
『1話限りの予定だったので人形は丁寧に作られていなかった日本よか様@『無源社』と言う話だ。
 実物を見てきたが、正面から見るとまだ多少(?)愛らしさがあるのだが、側面から見ると更に衝撃的。顔の鼻の部分の厚みが無く、巨大な唇部分だけが前面へ自己主張している。人形自体がうつむいて展示されていたせいもあったが、薄暗い展示室で実のところ僕は少し怖かった。
 材質はホオの木を使用している。ホオの木は青白く「アル中」にぴったりだったからだという。

『衣装がオレンジ色に変化したのは「青い服では合成の時とけ込んじゃう」からだそうである』(恋ヶ窪様情報2003/02/21

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声:つボイノリオ
「つボイさん結婚は80年1月。長男誕生は80年12月」(金太様情報2004/03)

「皆さんはそれぞれ持ち歌があるのに、花のアナウンサーは無いんですよ。」byつボイノリオ(ラジオより)

歌手で本名:坪井令夫。『金太の大冒険』という発売後、一瞬で発禁になったという伝説の超下ネタソングで有名。今でもカラオケに在るはずなので是非チョイスしよう!!現在はDJとしても大活躍。

※リスナーの金太さんがこの2003年8月、直に質問を試みられたのでそれを以下に記す。
Q:「花のアナの口調は、誰かの影響を受けたのですか?」
A:「とりたてて誰、ということはない。強いて言えば、ワタシの口調全体がいろんな人の影響があるから・・・」
(昔から好きであった落語や講談の影響かもしれない)
Q:「いきなりイモのアナウンサーが出てきたのは、つボイさんになにか事情があったのですか?」
A:首をかしげて、「石山先生の都合では?」
(はっきり覚えてないよう)
(金太様情報2003/08

 また、つボイ氏がラジオで語った事を要約すると、

 ☆『この頃私は専門学校に通っていたのだが、もう東京を引き払って名古屋に拠点を移そうと考えていた。その時このアナウンサーの役が回ってきたのである。
 元々、最初の1〜2週間だけのチョイ役だったのだが、脚本家の石山先生がこのキャラを気に入ってくれた。物語の続きを考えられない時、この狂言回しキャラが「ザーンカザンザンザ〜ン」と、物語に割り込んで余計な解説をまくし立ててボンボンと言い争い、時間稼ぎをしてくれ、ストーリーを考える時間を引き伸ばす事が出来た。また物語を整理し直したりする上でも、とても便利だったのである。 ともあれ、私(つボイ氏)はプリンプリン物語のお陰で3年間の専門学校の学費を賄えたのである
(金太様ご協力&情報@ネットラジオ楽耳王』。

 ちなみに当時のつボイ氏の収録一回のギャラいくらだったのだろうか?これは収録一回分ギャラを示すものかどうかは分からないが、こういう話がある。
 ☆『”寝てただけで5千円かせぐ男”。
 「プリンプリン」の収録で名古屋から東京に向かう途中、新幹線が地震で止まった。車内で寝て動くのを待ってたが、間に合わないので電話したら「しょうが ないです」と言われ、後日改めて取り直しした。終ってから5千円くれるので「なんですか?」と聞いたら「こないだ、来れなかったときの分です』
(CBCラジオ@金太様情報2003/07/10

 ☆また他にも『セリフはほとんどアドリブだった。NHKは何も言わずやらせてくれたけど、最後に”一字一句台本どうりに読むのがプロ、あそこまでアドリブ許されるのは森繁さんクラス”と言われた』(金太様ご協力&情報@CBCラジオ2003/5/30)という。
 アドリブと聞いてなるほどと合点がいった。花のアナウンサーのキャラ付けだけ、ぶっ飛び過ぎているのである。時々電波系のエキセントリックなセリフで暴走し、物語に異色の新鮮さを加えている。狂言回しにふさわしい盛り上げ上手な存在である。 
 
 ☆つボイさんは自分がDJをつとめるラジオ番組で台本プレゼントなどもやっていた。これについては、『ハイヤングKYOTOの前に ハイヤングイレブンという番組があった。奇しくもプリンプリン物語と同日、1979年4月2日に 開始された番組でつボイさんの京都デビューはこちらの番組である。このハイヤングイレブンが1981年3月まで続き、ハイヤングKYOTOは、その後番組として1981年4月に始まった。つボイさんがリスナーに台本をプレゼントしていたのはこのどちらかである。Peehyoro Acala様@情報2003/6/14)

 ☆また『つボイノリオさんの熱演が大好評だったお陰で最後まで出番があり、目立ちまくっていた。後半には顔が同じな妹の”イモのアナウンサー”というキャラクターまでが登場した日本よか様@『無源社』という話である。

 ☆
『ある年「まちぶせ」が大ヒットして、本物の紅白出場が 決ったひとみちゃん、その時つぼイさんは「これで自分も(応援として)(ホンモノの)紅白に出られるぞ」とラジオで公言。親戚は楽しみにその年の紅白を見 たらしいのですか、その年の紅白はNHKが「路線変更」をして「゛余計゛な応援は入れず、じっくりと歌を聴かせる構成」にしてしまい、ひとみちゃん(親戚 は何故かそう呼ぶ)しか出てこなかったのだそうです。しかもひとみちゃんは紅白に出られた感激のあまり、途中で泣き出し歌が止まってしまった。この 「NHKの路線変更で紅白に出られなかった」話はそうとう残念だったようで、つボイさんは「プリンプリン」の話が出ると5割の率でそれを語ります。』(恋ヶ窪様、金太様情報2003/07/10

 ☆『今 朝のつボイさんのラジオを聞いていたら、北アルプス中学の生徒が、略すとアル中になるので大反対した、という話から花のアナウンサーの話になりました。曰 く 『”ザンザザンザンザァ〜ン(中略)ブルブルブル、ウイウィ〜”と台本に書いてあるけど、役者じゃないから急に酔ったフリするのがとても苦手で、ウィ 〜というのが自分で聞いてもヘタクソやなぁとずっと思っていた。今の再放送を見ていると、”私は花の〜ブルブルブル”で切ってある、ということは、昔は ギャグで”アル中”と出すことに気を使っていなかったんだなあ。今は”略してアル中”は、省略形だからしょうがないが、ウィ〜というとアル中そのものに なってしまうので、配慮してカットしたのだろう。ヘタなのをカットされてよかった…』 というような内容の話でした。』(金太様情報2004/02/18

 ちなみにつボイ氏は現在もDJとして全国各地で大活躍中。テープを放送二年目から保存していたり製作秘話を話したりとプリンプリン物語所属の現役アナウンサーぶりは健全である。
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情報は集まり次第増やして行きます。

 

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