・プリンプリン物語の企画誕生の一幕
「明るく楽しく大らかな人形劇を考えてみてくれないか?」
という注文を石山透氏がNHKから受けたのは1978年の春だったという。
石山氏は考えた末、太平洋のある南の島に旅立ち、7月、そこでまず何よりも最初に「プリンプリン」というタイトルを考えた。そして現地の人々の生活の中へ分け入り、その雰囲気を吸収し、また当時読んでいたラーマヤナを取り入れ、物語のイメージを膨らませたという。
しかし話数を考えるとそれだけではすぐにネタ切れになる事は判っていたので、他にもSF、新聞記事、ギリシア神話、等等ありとあらゆる物をパロディーとして取り入れる方針を当初から決めていたようだ (グラフNHK1979/5参照)。
プリンプリン物語の内包する膨大なエネルギーや広大な世界観、そして不思議な大らかさは、こうした貪欲な石山透精神を背景にしているのである。
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・リアルプリンセス効果とルチ効果
物語と人形のかつて無いシュールさ故に、当初人気は低迷を続けていた。しかしそれが3年間ものロングヒットとなった一つの要因がある。
名古屋のラジオ局の「花のアナウンサー」のつボイノリオさんDJ番組で出た話によると、『プリンプリン物語は本当は一年で終了する予定だったんです。ところが皇室の影響力というのはすごいものであのサーヤが(紀宮様のこと)「好きな番組はプリンプリン」だと言われたんです。おかげで3年も続きました。』(犬玉梓之介様@情報)と、いう事らしい。
まさに事実上のプリンセスの庇護も受けていたようだ。
と、言っても番組が長続きしたのはそれだけではない。放送半年目、アクタ共和国のルチ将軍の登場と共に視聴率が一気に上昇したのである。彼のキャラのインパクトは視聴者を釘付けにし、また物語のクオリティーもここで一気に跳ね上がった。お陰でプリンプリン達はこの国にかなり長期滞在する事になった。まさにルチ将軍は中興の祖である。
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・収録
収録は月曜日から金曜日までの5日分を半日でまとめて録った。音声を先に録り、それに合わせて人形を動かしていたので収録風景はさながらラジオドラマのようだったという。
挿入歌もその日に渡されその場で練習したというが、これはひょうたん島時代から同じだった。やはりギリギリになってしまったのだろう。
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