プ リンプリン物語はどんな話?
プリンプリン物語は
「海洋を漂っていた主人公である”どこかの国の赤ん坊プ
リンセス”が、自らの祖国を探し求める旅をする」
という物語である。
プリンプリン物語の変わっている所は、「素性が分からない放浪者、実は王女でした!」 でも 「どこそこの王家の王女様がこ
んな放浪生活を強いられる!」 でもなく、
「素性の分からないけど間違いなく王女様である人が王家を探す旅をする」
という、例えて言うなら「ブランド名がさっぱり判
らないけど間違いなくブランド品である」みたいな主人公の立ち位置である。
そういう主人公は珍しい。普通はその一点のみで押し切ろうとは考えない。例えばそこにプラスの要素として「主人公の過去にまつわる宿命
(仇、罪、事件など)」を加えようとする。
しかしプリンプリン物語のイカれている所は
その一点押しをやっちゃってる所だ!ごちゃごちゃと理屈を付けたりしないのだ。これはよほど作者本人に「純粋に信じ込めるパワー」が無いと不可能だ!(作
家方面の人種だと理解して頂けると思うが)。
そして、これが出来たからこそプリンプリン物語の主人公達は最後まで大人じみた泥臭さを持たず、子供の純粋素朴な感性を輝かせ続ける事ができたのだと思
う。
ただ、流石に「祖国への憧れ」という抽象的な主人公の気持ちを視聴者に共感化させる部分では少し苦労が見られ、初期には祖国に関するアイデンティティー
を仲間と問答するシーンなども入っている。しかしすぐにそういう祖国への想いはより共感しやすい「お母さんへの想い」へと置き換わっていく。
特に工夫したというのでなく、ごく自然な流れだったのだろう。
一応プリンプリン物語の形式は「貴種流離譚」
と分類される。
しかし最初にこの物語を見た視聴者はその種の話よりもむしろ「西
遊記」をイメージした人の方が多かったようだ。
主人公周辺のキャラクターの初期配置もそれを感じさせる。例えば頭に環を持つ孫悟空的なボンボン、食いしん坊キャラのピンクなオサゲ、知的な学者肌の沙
悟浄的なカセイジン、などである。そのイメージの舞台もインドだし、サルも象徴的だ。
物語の展開は、『主人公のプリンプリンが祖国を探してあても無く旅をし、引
き寄せられた国々でそこの王家をめぐる様々な事件に巻き込まれながら祖国かどうかを確認していく』、というパターンが多い。それは番組内で双六に例えられる。
しかし内容は非常にバリエーションが豊富で、どの国も個性的である。リアルタイムの時事ネタを臆することなく果敢に取り入れ、それを子供目線でどんどん風
刺していく。作者の石山氏が科学畑の出身だった事から難解なSF
ネタも沢山盛り込まれており、また彼の戦争体験からくる平和への強い想いも込められてい
る。
この物語には「子供には難しいのでは?」というような子
供への侮りは一切無い。そしてその姿勢こそが幼児たちの敏感すぎる無意識アンテナを大いに刺激する結果に繋がったのである。更
には大人の視聴にも耐え得るものとなり、親子でのコミュニケーションにも一役買ったはずだ。これは現在の特撮モノのように「イケメンを出して一緒に観てい
るお母さん層のハートもGET!」のような発想よりも建設的だと思うのだがどうだろうか。
また、お年頃の王女である主人公のプリンプリンが各国
の貴公子達に強烈に意識される、というのも見所であり物語展開の大きな原動力の一つだ。ただしプリンプリン本人は祖国を探すという目的から決してブレる事
が無いために恋愛の方向に展開する事が無く、旅立ちと共に別れが訪れる。
その点では国境を越えてずっとプリンプリンを追い続けたのはミスター怪人
ランカーだけだ。彼は物語の始まりから最終回までプリンプリン一行の最大の敵であり、プリンプリン一行が巻き込まれるトラブルのウラには必ず彼が存在す
る。プリンプリン物語のもう一方の主軸だといえる。
…以上、構造的な面ばかり管理人の主観と偏見で述べたが、ぶっちゃけてしまえばこんな上っ面な構造面だけでプリンプリン物語の魅力を理解する事は不可能だ。
この物語の最大の魅力は星のごとく輝くキャラクター達に尽きる。彼らは決して物語内における役割に押し込まれる事はなく、その枠を無視して実に個性豊かで生命感が溢れている。ロングヒットとなった最大の要因の一つであろう。
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